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思ったことを徒然なるままに綴るブログ

ようこそ

各地域にある習慣はなぜ続けられているのだろうか

今日は昔からの習慣があるということで祖父母の家に行っていました。
 
 
 
松明を適当な間隔に並べてある時間に一斉に火を灯すというものです。
 
 
 
祖父母の家は周囲を山に囲まれて十数件の家があるような場所なのですが、そこを一周囲うように松明が並びます。

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僕がかなり小さい頃からある行事ですが未だに何の為にしているのか、起源は何なのかさっぱりわかりません。
 
 
この時期にあるということは稲の豊作でも祈ってるんでしょうかね。
 
 
僕はこういった儀式的なものに関しては半信半疑です
 
 
しなかったらもし稲が全滅したとき「俺がしなかったからだ」ってなりそうだし、したからといって豊作になるというのは稲作楽勝案件すぎるし。
 
 
雨乞いとかもそうです。
少なくとも中学まで行っていれば雨が降る仕組みはわかりますよね。
川や海の水が水蒸気になり雲ができる。そしてまた雨を降らす。
詳しくは知らずともこういうサイクルであることはなんとなく知っているのでは?
 
 
そうすると太鼓をドドンと叩いたり、変な踊りを踊ったりしただけで雨が降るなんてまずありえないんですよね。
 
 
太鼓を叩いたことによる空気振動が雲に届くとかならわからなくもないですが、そんな轟音出せば鼓膜が死んでしまいます
 
 
流石に現代で雨乞いする人たちも本当に降ると思ってしてる人は少ないと思います。
でも昔から雨乞いの習慣がある地域では今もしてるんでしょうね。多分。
 
 
ということはやっぱり上にも書いたように「あの時しなかったからこうなってしまった」という事態を防ぐための保険みたいなものなんでしょうね。
 
 
「今年雨乞いせんかったからかんかん照りなんや」とか「今年踊らんかったから稲が病気で全滅したんや」とか。
 
 
今までしてきたことを怠ったときに不幸が訪れると、それが原因だと思ってしまう気持ち、わからなくもありません。
 
 
昔の人は本気で信じて儀式をし始めたのかも知れませんが、現代においては地域文化の継承とかもしもの時の保険という目的が大半を占めている気がします。
 
 
逆に昔の人みたく本気で信じて全力で雨乞いとかしたら降るんですかね?
僕は儀式に対して半信半疑である時点で無理なので、純粋に本気で神を信じている人がいたらやってみてください。
 
 
気になります。